楽しい一日を過ごした帰り道。心がふわっと満たされて、軽やかな余韻に浸っていた。
そんなタイミングで届いた身近な人からのLINE通知。目に入った瞬間、胸の中にざわざわが広がった。
相手にとっては、きっとただの何気ない一言。
でも、私にとってはせっかくの余韻に水を差されたようで、なんとも言えない悲しさと罪悪感が込み上げてきた。
「どうして、わざわざそんなことを言うんだろう」
「私が楽しむことって、そんなに悪いことなのかな」
沈みかけた気持ちの中で、ハッと気づいた。
――ああ、また私は“誰かの機嫌”に心をかき乱されている。
幼い頃から続く、心のクセ
思い返せば、私は幼い頃から相手の言葉をグッと真正面から受け取ってしまうクセがあった。
気づけば、いつも誰かの気分次第で自分の気持ちを決めてしまっていた。相手の機嫌が良ければ安心し、不機嫌な人がいたら私が悪いことをしたように感じてしまう。
相手の機嫌の良し悪しに一喜一憂して、その原因に思いを馳せる。でもそれは私には知る由もないことで、私にはどうすることもできない。
それでも相手のことが気になって、その人の機嫌に振り回されていく私がいた。
本当の問題は何だったのか
でも結局のところ、相手も私も「自分で自分の機嫌を取れていない」だけなのだ。
それぞれの課題であって、私が背負うことではない。
だから罪悪感を持つ必要も、相手の機嫌を取る必要もない。そう思えたとき、胸のざわめきは少しずつ静まっていった。
心の天気予報は、自分で決める
その人の、その日の“お天気”が悪かっただけ。
だから、私の心の空まで曇らせる必要はない。
これからは、自分の心の空模様は自分で守ろう。
誰かの一言にかき乱されても、立ち止まってこう言えばいい。
「これは私のせいじゃないよ」って。
そうして少しずつ、相手との心の境界線を濃くしていく。
そうして少しずつ、相手との心の境界線を濃くしていく。境界線とは、相手の感情と自分の感情をきちんと分けて考えること。相手の不機嫌は相手のもの、私の幸せは私のもの。
相手の機嫌が映し出すもの
ただし、もう一つ大切なことがある。
相手の機嫌の悪さで自分も辛い思いをするなら、それは私の中の癒えていない傷に触れたということかもしれない。
そう、まさに自分に矢印を向けるタイミング。
なぜこんなにも心がざわつくのか。
なぜこの言葉にこれほど反応してしまうのか。
そこには私自身がまだ受け入れられていない何かがある。
相手は単なる「きっかけ」で、本当に向き合うべきは自分自身の内側なのだ。
相手の機嫌に振り回されるのをやめるのと同時に、「なぜ私はこんなに反応するのだろう?」と自分自身に問いかけてみる。
その答えにこそ、本当の成長のヒントが隠されているのかもしれない。
新しい私への第一歩
これからは、相手の機嫌に一方的に振り回されるのではなく、それを自分と向き合うサインとして受け取っていこう。
相手の言葉に反応するのは自然なこと。でもそこで立ち止まって、二つの問いかけをしてみる。
「これは私の問題?それとも相手の問題?」
「なぜ私はこんなに反応するのだろう?」
境界線を引くことと、自分自身と向き合うこと。この両方を大切にしながら、自分の心を自分で晴らしていこう。
誰かの機嫌という名の嵐に巻き込まれるのではなく、そこから学びを得ながら、自分らしい晴れ間を育てていく。そんな新しい私になりたい。
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