【前編】理想の暮らしを描いたら、人生が動き出した話

「毎日イライラして、家族に八つ当たりしてしまう…」
「本当はもっと心にゆとりのある暮らしがしたいのに」

そんな風に悩んでいた3年前の私。
17年勤めた会社を辞めて、今では理想だった「おうちでゆったり働く」生活を実現しています。

転機となったのは、たった1つのワーク。
「理想の暮らしを描く」ことでした。

この記事では、モヤモヤを抱えていた私が、どのようにして本当に大切なものに気づき、人生を変えていったのかをお伝えします。

働き方や暮らし方を見直したいと考えている方、フリーランスを目指している方の参考になれば嬉しいです。

目次

なぜ私は17年勤めた会社を辞めたのか?モヤモヤの正体

17年勤めた会社を辞めて、もうすぐ1年が経ちます。

これまでにも、友人や元同僚、コミュニティの仲間から

  • なぜ退職という大きな決断ができたのか?
  • どうしてフリーランスという働き方を選んだのか?

そんな質問をたくさんいただいてきました。

これはつまり、
「働き方を変えたいけど、怖くて動き出せない」
「退職したいけれど、自信が持てない」
という気持ちが根底にあるのではないかと感じています。

私自身も、まさにその気持ちで悩んでいたからこそ、同じような思いを抱える方に向けて少しでも参考になればと思い、この記事を書きました。

当時の私の状況

  • 往復3時間半の遠距離通勤、在宅勤務なし
  • 朝6時出勤、19~20時帰宅
  • 残業は月平均10~20時間
  • 月1~4回国内出張
  • 平日はキッチンに立つ気力なし
  • 子どもとの時間は寝る前の2~3時間だけ
  • 疲れすぎていつもイライラ
  • 土曜日は掃除と洗濯で終わる

近所に住む義両親と職場が近い夫に保育園の送迎は丸投げ。家族のサポートがあったから、ギリギリやれていたような生活でした。

本当は、私も子どものお迎えに行って、先生に子どもの様子を聞きたいのに。

おうちで子どもに「いってらっしゃい」「おかえり」が言いたいのに。

泣く泣く子どもの寝顔にキスをして、出勤するような毎日でした。


でも、最初から「会社を辞めよう」と決めていたわけではありません。
小さな気づきや行動を積み重ねていった結果、退職という選択にたどり着いたのです。

【ターニングポイント】こんまりメソッドで気づいた「理想の暮らし」

すべての始まりは、
「理想の暮らしを描く」という小さな一歩でした。

2020年4月、緊急事態宣言中のある日。

新築から1年ほど経った我が家は、モノが増えて片付かず、
下の子もまだ小さかったため、集中して片付ける時間もなく、

毎日イライラを募らせながら過ごしていました。


そんなとき、大好きな近藤麻理恵さんの「こんまりメソッド」を学べる1dayのオンラインセミナーに参加することに。

セミナーの中で印象に残ったワークのひとつに、こんな問いかけがありました。

「もし今、何も制限がなかったら、どんな暮らしをしてみたいですか?」

どんな家に住み、どんな景色を見て、どんな空気や音・香りを感じて、
誰と、どんな時間を過ごしているのか…

最初は「難しい質問だな」と感じましたが、講師の方の導きに心をゆだねて、
制限を取っ払った理想の暮らしを想像してみました。

私が思い描いた理想の暮らし

すると、不思議なことに思い浮かんできたのは「夢のまた夢」ではなく、少し工夫すれば手が届きそうな、身近で現実味のある暮らしでした。

  • 窓から緑が見えると嬉しい
  • 季節の移ろいを感じながら暮らしたい
  • 家族との時間をゆったり楽しみたい

自分で言うのもなんですが…どれもささやかで、でも確かな願いだなと思いました。

理想を諦めていた私|思い込みが作った現実の罠

理想の暮らしを思い浮かべた直後、ふと私はこう思ってしまいました。

koharubiyori

「今は無理だよね。子育てが落ち着いて、定年を迎えた後じゃないと…」


せっかく制限を外して理想を描いたのに、
自分でまた制限をかけ直してしまったのです。

なぜなら、目の前の現実は
仕事・育児・家事に追われ、余白ゼロの毎日

理想とは程遠い生活の中で、「自分には叶える力がない」と思い込むようになり、
自己効力感(セルフエフィカシー)はどんどん下がっていきました。

思い込みが作っていた現実

「今の収入を手放すのは怖い」 → 安定志向が行動を制限

「家族のために我慢するのが当たり前」 → 自分の幸せを後回し

「いつか時間ができたら」 → 先延ばしのループ

思い込んでいることと逆のことをするって、なかなか出来ることではありません。この思い込みに気づいて行動するまで、私には本当に長い年月が必要でした。

時短・効率化では解決しなかった本当の問題

いつも心にゆとりが欲しいと思っていた私。

koharubiyori

そのためには、まず時間のゆとりを作らなければ!と考えていました。

私が取り組んだ効率化

  • 片付けの本や時間術の書籍を読み漁る
  • 会社では徹底的に業務効率化に取り組む
  • 家では便利家電を導入して家事動線の改善を図る

結果的に、職場では平均月15~25時間の残業時間を5時間以内に短縮することに成功しました。

それでも、理想の暮らしには近づけませんでした。

なぜ効率化では解決しなかったのか

当時の職場にはフレックス制度もなく、自分の仕事が終わっても定時までは職場に残らなければなりませんでした。

どんなに工夫して仕事を早く終わらせても、空いた時間にはチームメンバーのフォローや新しい案件が降ってきます。

「子どものために早く帰りたい!」という気持ちで頑張っても、思うように自分の努力が報われない現実に、心はすり減っていくばかりでした。

他人軸から自分軸へ|大切な価値観を取り戻すまで

理想を叶えるためのアプローチはしていたのに、なぜかうまくいかない。
その理由は、心の軸がズレていたからだったと思います。

他人軸で生きていた私

私はずっと、「誰かのために」と考えて行動してきました。
もちろん、純粋に人の役に立ちたいという思いもありましたが、大人になるにつれ、「どう見られるか」を気にすることが増えていったように思います。

  • 「みんなの期待に応えなければ」
  • 「頑張っている私」を認めてもらいたい
  • 「良い母親」「良い妻」「良い社員」でいなければ


その結果、自分が本当に大切にしたいことや価値観がブレてしまったのです。

自分軸を取り戻すターニングポイント

“他人軸”で生きていたからこそ、理想を描くことさえ諦め、「自分が幸せになるための努力なんて意味がない」と思っていました。

でも、本当に優先すべきだったのは、

自分が「心地よい」と感じられるか

どうすれば自分自身が「幸せだ」と思えるか


その視点を取り戻すことで、私はようやく「私の人生」に立ち戻ることができたのです。

「心を亡くしていた」私が本当に欲しかったもの

心が整えば、暮らしも変わる

私はようやく、自分の「心地よさ」を軸にした “自分軸” に立ち返ることができました。

私が本当に欲しかったもの

私が本当に欲しかったのは、

誰かに自慢できる広い家でも、高級車でも、肩書や年収でもなく、
心の余白を楽しめるライフスタイルだったのです。

欲しいモノをお金を気にせずに買い揃えることや
制度や人間関係に愚痴を言いながら会社にしがみつくことよりも、

  • 「今あるもの」に目を向けられる心のあり方
  • 日常のささやかな喜びを味わう余裕

それこそが、私にとっての理想の暮らしへの鍵だったのだと気づきました。

愛する人に当たってしまう私|自己嫌悪のループ

でも、その気づきを得るまでの私は、本当にひどい状態でした。

可愛いはずの子どもたちに、
疲れとストレスをぶつけて怒鳴り散らしてしまう。

大好きだったはずの夫に、
口を開けば業務連絡か文句ばかり。

そんな自分に、どんどん嫌気がさしていきました。

本当は、すでに幸せなはずの毎日だったのに。
欲しいものは揃っているはずなのに。
それでも、私は満たされていませんでした。

疲れと忙しさに押し流され、
小さな幸せに気づけなくなっていたのです。

「忙しい」という言葉の通り、
私は“心を亡くしていた”のだと思います。

本当に大切なものに気づいた瞬間

これは、多くの人が見て見ぬふりをしがちな状況かもしれません。
でも、私は思うのです。

「これって、本当は異常事態なのでは?」と。

だって、人生はたった一度きり。

心を亡くしてまで働いて、
いったい私は何を手に入れたかったのだろう?

本当は大切にしたいものが、いつも目の前にあったのに。

その現実にようやく気づいたとき、
私は「心」と「暮らし」と「働き方」を整える必要があると、強く実感したのです。

次回予告

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。後編では、この気づきを得た私が実際にどのような行動を取り、どのようにして理想の暮らしを実現していったのかをお伝えします。

  • 小さな一歩の積み重ねが人生を動かした具体的なステップ
  • なぜ「働き方」より「暮らし」を優先したのか
  • 理想が現実になるまでのリアルな体験談
  • 今日からできる「理想の暮らしを描く方法」

【後編】理想の暮らしを現実にした6つのステップと実践ワーク


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